2014年2月28日金曜日

家族のことを話すことに抵抗があります。どうしたら気楽に話せますか?


アサーション権を念頭に、ゆっくり少しずつでいいので、話したいときに。



こどものときに自分の経験を受け入れないように学習すると、家族のことを話す習慣が失われます。自分の見たことの無視を憶える背景には、恐怖、恥、罪の意識を認めたくない気持ちがあります。親のアルコール依存症はその典型的な事例です。 

自分の経験を受け入れない、これは主に親が子供に与えた苦痛に対する防衛です。
与えられた苦痛に対して、論理的に説明する能力がなくても、なにかおかしい、何かが間違っていると感じたのです。

これに対して、子供側から生まれた考えは、誰にも言わなければ、これ以上ひどくなることはないだろうというものです。

つまり、自分さえ黙っていると自分がどう感じているか、誰にも分からない。目につかないようにしていたら気づかれずにやり過ごせる。自分が感じずにいたら、苦痛は何事もないまま去っていく。と考えるのです。

こうして手に入れた安心と引き換えに「沈黙」を自分のやり方にしてしまったのです。友人、知人が家族のことを話しても、自分は話さないと決めて習慣化しているので話せないのです。
沈黙は単なる沈黙でなく「防衛」です。



自分が防衛すると、相手にも、なぜか理由が不明であっても、不安、不信が芽生えます。相手は防衛してきます。防衛の応酬が働き、親密なコミュニケーションができなくなります。

防衛はコントロールですが、親の言動についてコントロールできなかった分、自分をコントロールすることを憶えたのです。
成人してコミュニケーションする際にも、自分をコントロールします。人は誰しも「親の心、大人の心、こどもの心」を使ってコミュニケーションしていますが、自分をコントロールすることを憶えたので、無邪気なこどもの心を使うことが極度に不得手です。

このスキルの不足で、親密な関係が作るのが苦手です。親密さと愛情を混同するようになり、どこまで親密なコミュニケーションをしたらいいのか、自分で判断できずに人と人の間にある境界を越えてしまうことが起こります。
 
親密さを飛び越えて一気に愛情関係にジャンプする、あるいは愛情を無視して親密になれずに、人間関係がぎこちなくなります。

解決する方法は、ゆっくり少しずつでいいので、話したいときに、自分のことを話するようにしていきましょう。最終的にはコントロールを手放すのですが、一度にすると失敗するので、すこしずつ進めていきます。あせらず慣れることが大切です。

話したいとき話す、話したくないときには話さなくていい。・・・・アサーション権を忘れずに・・・

 ゲンキポリタンの愛ピがお答えしました。


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