2015年6月1日月曜日

一番小さな子の世話に追われて上の子と十分な会話ができない。どうしたら?


一番小さな子の世話に追われて上の子と十分な会話ができない。どうしたら







一緒にケアする時間をたくさん持ちましょう。




一番小さな子の世話に追われて上の子と十分な会話ができない・・・・この問題には、こどもにとって2つの重要な課題があります。

・主導権争い
・共同体に生きる

自分が下の子より愛される実感を確かめたいと思います。お母さんにしたら、どちらも同じように愛しているとしても、ケアが必要な下の子に時間も労力もかかります。上の子は敗北するしかありません。上の子にしたら、下の子に負けただけでなく、お母さんにも負けたことになります。まともに向かい合って勝てる相手ではないので、お母さんと目に見える形で主導権争いするつもりはありません。。負の感情を抱え込んでしまいます。

そこで仕返しをしようと考えます。場合によれば一番力の弱い下の子をいじめることもします。共同体からはじきだえあれるような行為をする可能性があるわけです。

人間は共同体に属しています。集団への帰属意識は勇気の原点です。それは人間のいちばんの願いです。仲間と共に暮らすことは、楽しみであり、よろこびなのです。

そうすると、上の子にどう向き合うか、答えが見えてきます。「家族」という共同体の一員として、子育てに参加させるのです。子育てに生じる様々な問題を一緒に乗り越えることで、問題を乗り越える習慣を身につけさせるのです。

お母さんのお手伝いすることで、必要とされていることを体感させるのです、できることできないことがあります。


危険なことはさせられませんが、「できない」を前提にしないで、「できる」を前提にして、やり遂げるために障害になることを取り除いてあげるようにします。結果ではなく、やり遂げようとするプロセスに関心を持ってあげるようにします。

こどもも大人も同じです。人と人との関係を豊かにすると、ストレスは起こりません。反対に関係がギスギスしたり、失望したりずると人付き合いはいやだと思ってしまいます。


そう思うと悲しくなります。ストレスもたまります。

しかし協力し合い、力を合わせ、自分も何かの役に立っているといることを実感する喜びの中で意欲的に多くのことを学べます。

安心感とよろこびの中で、愛するよろこびを知る機会にしてあげてください。
 


2014年5月24日土曜日

正常な家庭と、そうでない家族ではなにがどう違う?



困難を乗り越えるライフスキルを育む努力が違います。





人気女優、ミュージシャンの薬物問題。薬物は人間を滅ぼすと繰り返し報道されています。確かにそうだけど、 彼女自身の本当の問題は「薬物」そのものではありません。

薬物を使うに至った「正常に機能しないシステム」が彼、彼女に内在していることが、彼らの問題であって、どのようにして機能させるかが今後の課題なのです。

よく受講生やお問い合わせいただく方々から聞く言葉があります。
「うちの親はイチローのような親ではない」「うちの家庭は、問題がある」
「親は自分に正しいあり方」を教えてくれなかった・・・等など。

では、彼、彼女の言う「正しい家族」とは、どういう家族なのだろうか?
ホームドラマのモデルになるような家族をイメージしているのだろうか?

事件の渦中にいる彼らが騒がれるのも「虚像」と「実像」のギャップが大きすぎたことも原因です。
それと同じで「正しい家族」のイメージとは虚像でしかない。

家族は、ほとんどがなんらかの問題を抱えていて、日々苦闘しているものです。

つまり、正常な家庭とは、家族のシステムが機能しているか、どうかで判別するしかありません。
システムを機能させるにはルールが必要です。

家族は親。兄弟でも個人の集まりです。
機能している家族とは、個人全員が機能していることにつきます。
しかし機能不全の人がいたとしても、可能性を信じて、互いが協力して、可能な限り機能させることで、家族として機能する仕組みがある。
それが機能している家族です。
機能している家族では、ルールはシンプルで現実的、柔軟で、寛容です。
ひとりひとりの、考えの違いを汲み取って成り立っています。
機能している家族は開放的で、ルールには一貫性があり、日や時間によって変わることもありません。
特別な状況に遭遇して乗り越えようとするときも、人間的なぬくもりを忘れません。
どんな場合も家族全員が従えるルールである点で平常と変わりません。

こどもは、こどもであることを許されていて、自分がすること、これからなにをどうするのか、期待されていることを知っています。
こどもは親を信頼することができます。
「互いに尊重して、迷惑をかけないように、自律しないさい。自分の持てる力を使い切りなさい。それでもうまくいかない時には知らせない。助けてあげる。
嘘をつかないようにしないさい。約束は守りなさい。感情的になってはいけない。乱暴なことをしてはいけない。虐待してはいけない。弱者にはいたわりを持って接しなさい。」
こういうルールを持った家族では、「家族」「近隣」「クラス」「職場」・・・などあらゆるチーム、共同体にも、家族のルールを基礎的に使用することを奨励します。
同時に個人を尊重し勇気づけます。自立が推奨されます。

個人が主体的あることがなにより推奨され、自分の出来ること、自分の物を持つこと、自分と他者の境界を持つことが許されます。
こどもは刻々と変わる状況に対処する方法と責任の引き受け方をルールから誕生から成人になる全プロセス(アサーティブな子育て)の時間をかけてゆっくりと学びます。
一方、機能しない家族では、ことごとく反対です。そして閉鎖的で感情を表現しても見捨てられ感が残ります。幼いこどもにとって見捨てられ感は生命の危機を感じる恐怖です。

この恐怖から自分を守る方法は、とにかく気に入られることです。
そのためには必死のコントロールが必要になります。
それがバレないように細心の注意で実行します。
自分の感情を認めないことは安心です。知らないことは、恐怖からすこしでも遠のく手段だからです。
見ない、言わない、聞かないことにします。
それでもコントロールは機能しません。それは恐怖の瞬間です。
繰り返し繰り返し無力感と見捨てられ感を味わいます。

それを隠そうとします。もし、求めていることを知られたら、悲しんでいることを知られたら、逆手にとられて、さらに強い無力感と見捨てられ感を味わうことになるからです。
どのような状況にあっても何事もなかったように、順調であるかのようにふるまいます。
Osodate.comのライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、


何事もなかったように、順調であるかのようにふるまう人たちがたくさん受講されています。
自分が抱えている事実に向き合うことで、混乱する方がいます。

しかし、それこそ気づきの始まりなのです。
間違った意識、行動は、どこかで気がつかない限り変わりません。
つらくても、もう二度とテキストを読む気がしなくなっても、立ちあがります。

気づきは突然に、不意に起こります。
それからが二人三脚のパーソナルトレーニングが効果を発揮します。 
機能しない家族のルールは2つあります、
そのひとつは 親がこどもに与えた恐怖と不安による支配の上に成り立っています。
もうひとつのルールは、こどもが親に対して作った「見ない、言わない、聞かない」自分を知られない限り安全だとするものです。

親から子、子から親。。。。
それぞれが作った違うタイプのルールが同時に使われることで、奇妙なバランスを保ちながら、家族を機能させないことで、サバイバルする仕組みをつくっているのです。
それは時間をかけるほど、人間関係を歪め、健全な人生観から遠ざけます。
ライフスキルが育たなくなります。

機能不全に陥った家族を体験してきた人には、ありもしない虚像の「正常な家族」と自分を比較する人がたくさんいます。
その比較は自虐的で自分を痛め続けます。
”正常な家庭の子は、なにもかもが順調で、自分にないものを持っている。
自分にはハンディがあり、それは正常な家庭の子には、
              決して理解できない深い悲しみと強い痛みだ。”
・・・・考えても仕方のないことを繰り返し考えます。
しかし、それこそがじぶん力の再生を拒んでいるトリックであり、逃げ場なのです。

正常な家庭というものが、どういうものか、虚像でしかありません。
問題のない家族はないと言っても過言ではありません。ないようでもあるのが家族です。
問題を乗り越える力を持った家族が健全な家族なのです。
ですから、正常な家族とそうでない家族という比較をして、さらに自分を痛めるのではなく、問題が起こった時に、上手に対処できるように考え行動することが大事なのです。

健全でありたいと願う人は、考えても仕方のないことを考えずに、自身が身につけているライフスキル 10のスキルを総動員して自分にできることをします。



Osodate.comのライフスキル講座では、

だから安心して取り組めると、うれしいお言葉をいただいています。



2014年2月28日金曜日

家族のことを話すことに抵抗があります。どうしたら気楽に話せますか?


アサーション権を念頭に、ゆっくり少しずつでいいので、話したいときに。



こどものときに自分の経験を受け入れないように学習すると、家族のことを話す習慣が失われます。自分の見たことの無視を憶える背景には、恐怖、恥、罪の意識を認めたくない気持ちがあります。親のアルコール依存症はその典型的な事例です。 

自分の経験を受け入れない、これは主に親が子供に与えた苦痛に対する防衛です。
与えられた苦痛に対して、論理的に説明する能力がなくても、なにかおかしい、何かが間違っていると感じたのです。

これに対して、子供側から生まれた考えは、誰にも言わなければ、これ以上ひどくなることはないだろうというものです。

つまり、自分さえ黙っていると自分がどう感じているか、誰にも分からない。目につかないようにしていたら気づかれずにやり過ごせる。自分が感じずにいたら、苦痛は何事もないまま去っていく。と考えるのです。

こうして手に入れた安心と引き換えに「沈黙」を自分のやり方にしてしまったのです。友人、知人が家族のことを話しても、自分は話さないと決めて習慣化しているので話せないのです。
沈黙は単なる沈黙でなく「防衛」です。



自分が防衛すると、相手にも、なぜか理由が不明であっても、不安、不信が芽生えます。相手は防衛してきます。防衛の応酬が働き、親密なコミュニケーションができなくなります。

防衛はコントロールですが、親の言動についてコントロールできなかった分、自分をコントロールすることを憶えたのです。
成人してコミュニケーションする際にも、自分をコントロールします。人は誰しも「親の心、大人の心、こどもの心」を使ってコミュニケーションしていますが、自分をコントロールすることを憶えたので、無邪気なこどもの心を使うことが極度に不得手です。

このスキルの不足で、親密な関係が作るのが苦手です。親密さと愛情を混同するようになり、どこまで親密なコミュニケーションをしたらいいのか、自分で判断できずに人と人の間にある境界を越えてしまうことが起こります。
 
親密さを飛び越えて一気に愛情関係にジャンプする、あるいは愛情を無視して親密になれずに、人間関係がぎこちなくなります。

解決する方法は、ゆっくり少しずつでいいので、話したいときに、自分のことを話するようにしていきましょう。最終的にはコントロールを手放すのですが、一度にすると失敗するので、すこしずつ進めていきます。あせらず慣れることが大切です。

話したいとき話す、話したくないときには話さなくていい。・・・・アサーション権を忘れずに・・・

 ゲンキポリタンの愛ピがお答えしました。


ご相談フォームは→こちら





2014年1月29日水曜日

アルコール依存症者の子ども〜私には子ども時代がなかったような気がする。

アルコール依存症者の子ども〜私には子ども時代がなかったような気がする。それってヘンですか?



そんなことはありません。自然なことですよ、

人間には<3つの心>、「親の心」「大人の心」「子供の心」があります。

さらに「親の心」には父親的な厳格な心と母親的な保護的な心、「子供の心」にも従順な心と無邪気な心があります。これらの5つの心は主に家庭で育まれていきます。

 健全な家族では<3つの心+2>が、一貫性のあるルールと仕組みのなかで育まれます。一貫性のあるルールと仕組みがあるのは健全な家族の特長です。

しかし、アルコール依存症の人が存在する家庭では欠落しています。この種の家族に育てられた子供には、なにより無邪気さの不足が目立ちます。

 あなたのように、彼女らは幼いときから、”子供”として過ごした時間が少ないので、無邪気な経験を失ってしまったのです。

たとえば一般的な学童の場合、学校から帰ったら遊びに行こうと誘います。しかし彼女には同級生達と違って、もっと重要なことがあります。家に帰って点検して今夜の予定と気の持ち方を決めなければならないのです。

アルコールの瓶がどこにどんな状態で置いてあるのか、注目せざるを得ない問題の人はしらふか、誰がいて、誰がいないのか、妹の世話をするのは誰か、夕飯の支度をするのは誰か。彼女は点検した上で、自分の行動と気持ちを決める必要があります。

無邪気さを体験する代わりに親あるいは大人を体験します。自分に対して自ら厳格を要求し、対外的には嘘をつくことで自分を保護することを憶えます。

彼女は混乱した部屋の扉を閉めて、こういいます。

  「万事順調、なにごとも起こっていないわ。」


彼女は責任を全うしたことに安心します。いまなにが起こっているのか、すべてを把握することに忙しく、なにが起こっても上手に切り抜けるスキルを身に付けていきます。一緒に暮らす大人よりも、はるかに大人らしくふるまい、親よりも上手にやり遂げます。

自分さえしっかりしていたら、アルコールの瓶は増えない。親は近づいても安心な存在でいてくれる。他者の責任まで自分の責任として受け止めて責任の領域は同級生とは比較にならないほど広範囲に及びます。

親が自分と本当のゲームをして遊んで、親が最後まで勝ち続けてくれるなら最高に楽しい時間になります。もし、親が負け、最後まで続けない時は、楽しくないだけでなく、危険な渦に巻き込まれてしまったことを意味します。


 こうして「こども」を体験しないまま成長した彼女は、成人しても、自分の責任範囲を超えて自分の責任だと考える習慣を手放しません。ほとんどの場合、手放す理由も、手放し方も分からないままです。

同僚が黙っていると自分の責任だと感じ、上司がしかめ面をしていると自分の責任だと感じ、赤ん坊が泣いていると自分の責任だと感じ、パートナーが会話を好まないと自分は見捨てられたと絶望します。

結婚する前に仲睦まじく交際した期間、それは彼女が少しばかりの無邪気が許された期間です。パートナーがテレビに見入っている姿は自分をかまわずに酔いつぶれていた親と重なります。絶望の足音を感じながらも、「たいしたことはない、私さえ黙っていたらきっとうまくいく」と自分の願望を抑えます。

泣きじゃくるこどもとふたりきりになったとき、冷やかな空気が部屋中に漂います。「私にはこどもであった記憶が一度もない」・・・・そう言える人はまだマシなのかも知れません。なぜなら考えることさえない人もいるからです。

孤立感のなかでさらに自分にムチを打ち頑張ろうとします。
親として責任を果たさないと・・・・もっと頑張らないと・・・・この子が泣いているのは、私の責任だ。焦りと責任感に追いかけられます。まるで「責任」に指名手配されているように感じます。大人にとって「責任」を引き受けることは本当なら喜びですが、彼女には牢屋に入れられるような気分がするので、何事にもアサーティブになることはできません。

 いま彼女が幸福になるためにすることは、うまくいっているように見せることではなく、サポートを求めることです。
助けてほしいとサインを分からないように出すのではなく、分かるように出すことです。

解決策をご提案します。

「万事順調、なにごとも起こっていない」ではなく、「私は完璧じゃない、大丈夫じゃない、私には助けがいる」と信頼できる人に伝えることです。
それが「自立」なのです。「自分を取り戻し、なれる最高の自分」になる方法なのです。

 家庭ではもちろん、どんな職業をしていても、子供の心を持っていることは必要です。子供の心がないとさわやかなコミュニケーションができないので、相手に負担を与えてしまいます。

人は死ぬまで、「親の心」「大人の心」「子供の心」を持ち続けるものなのです。

いまからでも、無邪気なことを、童心に返ることを、アサーティブに、積極的にするようにしましょう。 

メルマガで<自分をじぶんの味方にする方法>最新情報をお届けしています。

2011年3月11日金曜日

正常な家庭と、そうでない家族ではなにがどう違う?

 困難を乗り越えるライフスキルを持つ努力が違います。





人気女優の薬物問題が起こりました。薬物は人間を滅ぼすと繰り返し報道されています。
確かにそうですが、 彼女自身の本当の問題は「薬物」そのものではありません。

薬物を使うに至った「正常に機能しないシステム」が彼女に内在していることが、彼女の問題であって、どのようにして機能させるかが今後の課題なのです。

よく受講生やお問い合わせいただく方々から聞く言葉があります。

「うちの親はイチローのような親ではない」「うちの家庭は、問題がある」
「親は自分に正しいあり方」を教えてくれなかった・・・等など。

では、彼、彼女の言う「正しい家族」とは、どういう家族なのだろうか?
ホームドラマのモデルになるような家族をイメージしているのだろうか?

事件の渦中にいる人気女優 が騒がれるのも「虚像」と「実像」のギャップが大きすぎたことも原因です。それと同じで「正しい家族」のイメージとは虚像でしかない。

家族は、ほとんどがなんらかの問題を抱えていて、日々苦闘しているものです。

つまり、正常な家庭とは、家族のシステムが機能しているか、どうかで判別するしかありません
システムを機能させるにはルールが必要です。

家族は親。兄弟でも個人の集まりです。
機能している家族とは、個人全員が機能していることにつきます。
しかし機能不全の人がいたとしても、可能性を信じて、互いが協力して、可能な限り機能させることで、家族として機能する仕組みがある。
それが機能している家族です。

機能している家族では、ルールはシンプルで現実的、柔軟で、寛容です。
ひとりひとりの、考えの違いを汲み取って成り立っています。
機能している家族は開放的で、ルールには一貫性があり、日や時間によって変わることもありません。

特別な状況に遭遇して乗り越えようとするときも、人間的なぬくもりを忘れません。
とても大事なことです。
どんな場合も家族全員が従えるルールである点で平常と変わりません。
これも、同じく大事なことです。

こどもは、こどもであることを許されているだけでなく、そのルールが守られています。自分がすること、これからなにをどうするのか、期待されていることを知っています。おかげで、こどもは親を信頼することができます。

「互いに尊重して、迷惑をかけないように、自律しないさい。自分の持てる力を使い切りなさい。それでもうまくいかない時には,、お父さんか、お母さんに知らせない。助けてあげる。
嘘をつかないようにしないさい。約束は守りなさい。感情的になってはいけない。乱暴なことをしてはいけない。虐待してはいけない。弱い人にはいたわりを持って接しなさい。」

こういうルールを持った家族では、「家族」「近隣」「クラス」「職場」・・・などあらゆるチーム、共同体にも、家族のルールを基礎的に使用することを奨励します。
同時に個人を尊重し勇気づけます。自立が推奨されます。

個人が主体的あることがなにより推奨され、自分の出来ること、自分の物を持つこと、自分と他者の境界を持つことが家族のもとで許されます。

こどもは刻々と変わる状況に対処する方法と責任の引き受け方をルールから<誕生から成人になる全プロセス(アサーティブな子育て)>の時間をかけてゆっくりと学びます。

一方、機能しない家族では、ことごとく反対です。そして閉鎖的で感情を表現しても見捨てられ感が残ります。幼いこどもにとって見捨てられ感は生命の危機を感じる恐怖です。

この恐怖から自分を守る方法は、とにかく気に入られることです。
そのためには必死のコントロールが必要になります。コントロールがバレないように細心の注意で実行します。悲しいことですが、4歳で愛想笑いをする子もいるのです。

自分の感情を認めないことは安心です。知らないことは、恐怖からすこしでも遠のく手段だからです。
見ない、言わない、聞かないことにします。
それでもコントロールは機能しません。それは恐怖の瞬間です。
繰り返し繰り返し無力感と見捨てられ感を味わいます。

それを隠そうとします。もし、求めていることを知られたら、悲しんでいることを知られたら、逆手にとられて、さらに強い無力感と見捨てられ感を味わうことになるからです。

どのような状況にあっても何事もなかったように、順調であるかのようにふるまいます。

ゲンキポリタンのライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、何事もなかったように、順調であるかのようにふるまう人たちがたくさん受講されています。
自分が抱えている事実に向き合うことで、混乱する方がいます。

しかし、それこそ気づきの始まりなのです。