アルコール依存症者の子ども〜私には子ども時代がなかったような気がする。それってヘンですか?
そんなことはありません。自然なことですよ、
人間には<3つの心>、「親の心」「大人の心」「子供の心」があります。
さらに「親の心」には父親的な厳格な心と母親的な保護的な心、「子供の心」にも従順な心と無邪気な心があります。これらの5つの心は主に家庭で育まれていきます。
健全な家族では<3つの心+2>が、一貫性のあるルールと仕組みのなかで育まれます。一貫性のあるルールと仕組みがあるのは健全な家族の特長です。
しかし、アルコール依存症の人が存在する家庭では欠落しています。この種の家族に育てられた子供には、なにより無邪気さの不足が目立ちます。
あなたのように、彼女らは幼いときから、”子供”として過ごした時間が少ないので、無邪気な経験を失ってしまったのです。
たとえば一般的な学童の場合、学校から帰ったら遊びに行こうと誘います。しかし彼女には同級生達と違って、もっと重要なことがあります。家に帰って点検して今夜の予定と気の持ち方を決めなければならないのです。
アルコールの瓶がどこにどんな状態で置いてあるのか、注目せざるを得ない問題の人はしらふか、誰がいて、誰がいないのか、妹の世話をするのは誰か、夕飯の支度をするのは誰か。彼女は点検した上で、自分の行動と気持ちを決める必要があります。
無邪気さを体験する代わりに親あるいは大人を体験します。自分に対して自ら厳格を要求し、対外的には嘘をつくことで自分を保護することを憶えます。
彼女は混乱した部屋の扉を閉めて、こういいます。
「万事順調、なにごとも起こっていないわ。」
彼女は責任を全うしたことに安心します。いまなにが起こっているのか、すべてを把握することに忙しく、なにが起こっても上手に切り抜けるスキルを身に付けていきます。一緒に暮らす大人よりも、はるかに大人らしくふるまい、親よりも上手にやり遂げます。
自分さえしっかりしていたら、アルコールの瓶は増えない。親は近づいても安心な存在でいてくれる。他者の責任まで自分の責任として受け止めて責任の領域は同級生とは比較にならないほど広範囲に及びます。
親が自分と本当のゲームをして遊んで、親が最後まで勝ち続けてくれるなら最高に楽しい時間になります。もし、親が負け、最後まで続けない時は、楽しくないだけでなく、危険な渦に巻き込まれてしまったことを意味します。
こうして「こども」を体験しないまま成長した彼女は、成人しても、自分の責任範囲を超えて自分の責任だと考える習慣を手放しません。ほとんどの場合、手放す理由も、手放し方も分からないままです。
同僚が黙っていると自分の責任だと感じ、上司がしかめ面をしていると自分の責任だと感じ、赤ん坊が泣いていると自分の責任だと感じ、パートナーが会話を好まないと自分は見捨てられたと絶望します。
結婚する前に仲睦まじく交際した期間、それは彼女が少しばかりの無邪気が許された期間です。パートナーがテレビに見入っている姿は自分をかまわずに酔いつぶれていた親と重なります。絶望の足音を感じながらも、「たいしたことはない、私さえ黙っていたらきっとうまくいく」と自分の願望を抑えます。
泣きじゃくるこどもとふたりきりになったとき、冷やかな空気が部屋中に漂います。「私にはこどもであった記憶が一度もない」・・・・そう言える人はまだマシなのかも知れません。なぜなら考えることさえない人もいるからです。
孤立感のなかでさらに自分にムチを打ち頑張ろうとします。
親として責任を果たさないと・・・・もっと頑張らないと・・・・この子が泣いているのは、私の責任だ。焦りと責任感に追いかけられます。まるで「責任」に指名手配されているように感じます。大人にとって「責任」を引き受けることは本当なら喜びですが、彼女には牢屋に入れられるような気分がするので、何事にもアサーティブになることはできません。
親として責任を果たさないと・・・・もっと頑張らないと・・・・この子が泣いているのは、私の責任だ。焦りと責任感に追いかけられます。まるで「責任」に指名手配されているように感じます。大人にとって「責任」を引き受けることは本当なら喜びですが、彼女には牢屋に入れられるような気分がするので、何事にもアサーティブになることはできません。
いま彼女が幸福になるためにすることは、うまくいっているように見せることではなく、サポートを求めることです。
助けてほしいとサインを分からないように出すのではなく、分かるように出すことです。
解決策をご提案します。
「万事順調、なにごとも起こっていない」ではなく、「私は完璧じゃない、大丈夫じゃない、私には助けがいる」と信頼できる人に伝えることです。
「万事順調、なにごとも起こっていない」ではなく、「私は完璧じゃない、大丈夫じゃない、私には助けがいる」と信頼できる人に伝えることです。
それが「自立」なのです。「自分を取り戻し、なれる最高の自分」になる方法なのです。
家庭ではもちろん、どんな職業をしていても、子供の心を持っていることは必要です。子供の心がないとさわやかなコミュニケーションができないので、相手に負担を与えてしまいます。
人は死ぬまで、「親の心」「大人の心」「子供の心」を持ち続けるものなのです。
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